創業100年
よいものは
今も昔も
大正12年(1923)に創業した「和陶器やま𠮷」。
日本各地の陶磁器を取り揃え、数え切れないほど多くのお客様に
ご利用いただいております。ここ浅草から世界へ日本の伝統
と文化をお届けします。
子供のころに
家族で食卓を囲んだ
一家団らんの思いで
大切な方へこころの通うおくりもの。
うつわは様々なシーンで暮らしを彩り
心を豊かにしてくれました
よいものは
今も昔も変わりません。
使ってもらって喜んでもらえること
うつわにこめられた匠の技術と
想いを伝えること
それが創業より続く私たちの願いです
やま𠮷 創業
「和陶器やま𠮷」は大正12年(1923年)に三輪𠮷平により創業されました。三輪𠮷平は関西の出身で当時よりやきものの販売を行っていました。
やきものは陶磁器全般を意味する呼称ですが、やきもののルーツとして古い歴史をもつ瀬戸地域の陶磁器を指す言葉として特に「せともの」としてよび、私たちのような陶磁器を販売するお店は古くから「せとものや」として親しまれていました。20代半ば東京へ移転した三輪𠮷平は田中町という現在の台東区日本堤の界隈に移り店を開きました。日本堤は漫画「明日のジョー」の舞台となった「山谷」として知られており、大正時代が終わりを迎える時、街は大震災を乗り越え活気に溢れていたそうです。
まちのせとものや
昭和10年頃に現在のいろは会商店街に「いろは会通り本店」を開店。より多くのお客様のご支持を得て繁盛を極めたそうです。
戦後社会が復興の歩みを順調に進める中、事業を成長させたのが二代目の三輪隆でした。昭和27年に三輪隆は創業者の娘、有子を妻に迎え家業を引き継ぎます。
翌28年にやま𠮷を有限会社として登記しました。近隣地域へ次々と支店の出店を行い、その店内では日本の各産地のお取引先より跡継ぎとなる若者が研修に訪れ、三輪隆は厳しいながらも教育に熱心に当たっていたそうです。
事業拡大の歴史
昭和40年代になると地域における芳しい評判から、浅草まつりの出店の要請をいただくようになりました。それをきっかけとし多くの百貨店やスーパーでの商いを行うようになり事業は大きく飛躍します。
昭和51年に三輪隆の念願であった「やま𠮷雷門通り店」を開店します。事業は最盛期をむかえ、海外にも支店をもつほど拡大を続けました。やがてバブル崩壊を経て平成の年号に代わるころ、社業は三輪隆の子供である三輪隆𠮷へ継承されましたが、苦難の時を迎えることになります。
浅草を本店に・・・
平成8年に「株式会社やま𠮷」とし経営の合理化をすすめますが、長びく不況により、採算の大部分を占めていた百貨店事業が過渡期をむかえ変化が起き、三輪隆吉は社業の転換期と考え、百貨店商売を撤退する判断をしました。
以降浅草の「雷門通り店」「新仲見世通り店」での小売をメインとし商いを続け、事業は平成27年に父三輪隆𠮷より私に承継されました。令和2年に端を発した新型コロナウイルスの影響により「新仲見世通り店」を閉店しましたが、本店を「雷門通り店」へ移転し営業を再開しております。
(令和3年10月現在)